ムーンライト東大文一

東大文科1類を目指して浪人した男の記録。(追記)合格しました。これからは随時お役立ち情報を書きます。

ぼくの「浪」を語ろう① (東大不合格体験記 小学生編)

日本では、大学は現役で進学するのが一般的だ。

推薦やAOで確実に決める。
もしくは、
受験では、第一志望校の他に確実に受かるだろう安全校までしっかり受けて合格しておく。

ではなぜ、人は浪人するのだろうか?

このような中で浪人などよっぽどのバカでない限りしない
そう思っていたぼくは、この春から浪人することになった。

ここで、その疑問について考えるとともに、この一年を有効活用すべく受験生活を客観視して分析するために、他人に文章を読んでもらう体で自らの受験人生を振り返っていこうと思う。

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僕は小学生だった。
小学校の教師とは対立してた記憶しかないが、公文教室に通っていたため英検2級レベルに英語ができ、算数も人並みにできた。
しかし、かなり教育レベルが高い小学校だったため、特に周りより賢かったという記憶は無い。

そして僕は受験生だった。
小4終わりから中学受験塾にぶちこまれ、受験勉強がスタートした。
最初こそ1番下のクラスだったが、徐々に成績も上がっていき、クラスも一番上から2,3番目で安定した。(結局一番上のクラスに行くことは無かった。)
完全な強制ではあったものの、勉強は社会科などそれなりに楽しんでいた記憶があるし、受験率が高い小学校であったため特に気にすることも無かった。友達もでき、地下鉄のホームを走りまわった。
小6に入ると受験競争が激化し、それなりにつらいこともあったが、なんだかんだでそれなりに楽しんでいたし、下校途中の寄り道や行事などそれなりに充実していた。

秋ぐらいに第一志望校Z卒の東大生という人物D氏が現れ、時々個別指導的なことをしてもらえることになった。
大学生というのは、小学生からしたらかなりの大人である。ましてやZ卒の東大生ときた。中高生ならば無知の知的なものはあるだろうが、小学生の自分には思いも寄らないことをたくさん知っている。僕はD氏のもとで勉強することになった。
成績は伸びた。

結局第一志望校である御三家のひとつであるZ中学の合格率が50%を超えることは無かったまま受験シーズンを迎えた。しかし1月中にトップレベル校Kの合格を取ったので、2月1日にZに突撃した。合格した。

合格発表は学校の掲示板まで見に行ったが、よくテレビで見る泣いてる受験生とかがいる激しい現場はそこになく、普通に小学校に行っていったん家に帰ってから見に行ったのでカップラーメンを持ってた在校生の他に誰もおらず、
「番号があるなあ」
という感想しかなかった。

その夜はZとKのどちらに行くか悩んだ。(自分的にはZ一択だったが親がKを猛プッシュしていた。)

晴れてZに進学することが決定し、春休みを謳歌した。モンハンをひたすらやってた記憶しかない。ジエンモーラン的なやつを狩ってた。


中学高校編へと続く