ムーンライト東大文一

東大文科1類を目指して浪人した男の記録。(追記)合格しました。これからは随時お役立ち情報を書きます。

ぼくの「浪」を語ろう② (東大不合格体験記 中高編)

「自己紹介」は残酷だ。
自己紹介とは、自分が何者であるかを他人に説明する行為だ。
自己紹介をする度に、結局、自分は何者でもない誰かの下位互換でしかないような気がしてしまう。

君を君たらしめるものは何だろうか


ところで、厳しいことで有名な北九州予備校では、予備校に入学してすぐに「不合格体験記」なるものを生徒全員に書かせるという。
現役時の失敗を文章にすることで反省を促すというものだ。

この文章は、僕が浪人するに至った経緯を記憶が鮮明なうちに書くことで、自分の浪人の一年に役立てようというものである。

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晴れて僕は第一志望校だったZ中学に入学することができた。
部活に入り、委員会に入り、文化祭を楽しんだ。

入学と同時に塾にぶちこまれた。それが、親が猛プッシュしていたK中学ではなく、自分の第一志望校であったZ中学に入学するための親との取引条件であったからだ。

勉強していない。いや、勉強していない。
かろうじて英語だけは、今でも5文型すら知らないほど文法は勉強していなかったものの、ネイティブ的なセンスがあったためできたが、中2あたりから塾で数学はわからなくなっていった。
それもそうだ、塾で授業がはじまる前の30分以外勉強していないのだから。
わからない→やらない→わからない
のサイクルが完全していってしまった。
 
学校の授業は教養重視のものであったため、受験の役に立たないだろと思いあまり熱心にきかなかった。
(皮肉なことにちゃんと授業をきいてた人のほうが受験では成功している。)

学校の定期試験は中2から徹夜族になった。しかし、裏を返せば徹夜するぐらいには真面目に取り組んだということだ。
社会科は好きだったからそれなりに対策したし、化学も無機範囲の時は真面目にやった。
また、それなりに勉強しないと赤点を取ってしまいそうな科目があったという理由もある。

高校に上がるとますます勉強しなくなった。
実力試験では上位1/3〜1/2を彷徨った。
一般に、学校内の東大現役合格圏と呼ばれてるのが上位1/5である。
でも、高2高3で本気出せば行けるやろと思い、そこまで真面目に勉強しはじめることはなかった。

高1高2では文化祭や委員会、部活が生活の中心となり勉強から遠ざかっていたが、だいたい全部落ち着いてきた高2秋、テストで最下位近くを取って遅れが表面化し、他に特にやることもなくなったこともあって勉強と対峙せざるを得なくなった。

またこの頃、高2の夏に東京医科歯科大学オープンキャンパスに行った。
当時まだ文理が定まっていなかったのもあるが、人生で最も謎な行動の一つである。

数学は青チャートの基本問題すらちゃんと解ける問題が少ないというレベルだった。
高2秋から少しずつ受験勉強というものを開始した。

数学では、青チャート〜一対一対応レベルの問題をひたすら解いてとりあえず高校数学の全範囲を終えることを目指した。

冬休みまでの間に高校数学を一周することには成功したが、国公立大の問題を解くには及ばなかった。
それどころかまだセンターレベルですらあやしいレベルだ。

年を越えた頃には、クラス全体の勉強する雰囲気もあって、学校でも昼休みでさえ勉強するといった程に勉強熱心になっていた。
一日の勉強時間が10時間に達する日がほとんどになるようになり、勉強もわりと計画的に進めた。

受験生である高3直前ということもあって春休みは一日も遊んだ日がないぐらい勉強した。
英語では、東大京大以外の国公立入試問題はだいたい解けるようになった。

しかし数学は、当時青チャートレベルだった自分の学力よりもずっと難しい「文系数学のプラチカ」に突撃していたため、力は伸びなかった。
根底には、難しい問題が解けるようにならないと高3になって置いてかれてしまうという不安があったんだと思う。

こうして数学に苦手を抱えたまま、受験生の年・高校3年生になる…