ぼくの「浪」を語ろう③ (東大不合格体験記 高3編)
丸ノ内線、罪な路線である。
なぜか?
停車する駅を見れば自然と答えへと行き着く。
?
御茶ノ水(駿台予備校3号館)
↓
本郷三丁目(東京大学本郷キャンパス)
↓
後楽園(河合塾本郷校)
おわかりになっただろうか。
丸ノ内線は、
駿台予備校御茶ノ水校3号館、
河合塾本郷校
という2つの東大専門校舎と東京大学本郷キャンパスを結んでいるのだ。
丸ノ内線に乗る度、路線図を見てこれを意識せざるを得ないのである。
一体これまで何人がこの被害にあっただろうか…
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この章では高校3年生の受験シーズンに到達するまでの期間について語ろうと思う。
春、僕は高3を迎えた。
「この一年しっかり勉強して東大に現役に入ったるぞ!」
そんな希望を胸に、僕は新しい教室へと入っていった。
一年後の僕は、浪人生となり、自室の隅で横たわって虚ろな目で、こうして文章を光る画面に入力している。
教養主義寄りの授業がメインだった学校だが、高3にもなるとさすがに問題演習など受験対策に内容が寄ってきた。
「やっぱり進学校なんだなあ」
そんなことを考えた。
学校の授業は全くアテにしていなかった。
学校の授業が受験対策において効率的な手段であるとは思えなかったので、地理と体育以外は全て自習か睡眠にあてた。
勉強は自分でするものであると考えていたので。
それでも、2学期に授業をたくさん切ろうと考えた僕は欠席数を調整するため1学期は真面目に授業に出席した。
授業の欠席に関しては、自習のためたくさん欠席していた人も皆勤の人も受かっているので結局のところ何が正解かはわからない。
僕の一週間は、週4ぐらいで塾に行き、その他の日にその宿題や復習をするというものだった。
とはいっても数学が苦手科目だったので時間の大半は数学の勉強に割かれた。
自分語りに疲れてきたので次から月別にまとめてきますよ
【定期】the OC
こんにちは
日付超えちゃいましたが今週も更新します
とりあえず予備校はじまりました
一通り全部終えて、何とかなりそうです
センター開示きました
地理20点前半でした
まあ地理A解きましたからね
センター本番でまちがえて地理A解いちゃった人、世界に僕以外にいるんでしょうか?
過去問とか見るに、ちゃんと地理Bまともに解いてれば東大受かってたでしょう
惜しかったアピールそろそろやめたいんですが、やっぱり、もしかしたら自分も今頃駒場に通う東大生になっていたのかもしれないと思うと、ちょっと切ない気持ちになりますね
今年はそんな大事故が起きても受かる実力つけたいです
あと今日模試でした
模試は疲れますね
特にセンター模試
体力ががっつり削られる
東大二次はもっかい受けてもいいんですが、センターは二度と受けたくないですね
(やらなきゃいけないですが)
今週は、センター模試が近いので
- 予備校の予習復習リズムをつかむ
- 毎朝センター数学の計算練習
- センター化学思い出す
- 一対一対応進める
を目標に進めていきます
まだ予備校の復習範囲が狭いうちに一対一対応進めておきたいですし
あと余談なんですが、最近見てる海外ドラマでOCが面白いです
貧困地区出身の少年が西海岸のセレブ界で恋愛したりする話です
これについてはまた今度くわしく
そーれではまたらいしゅーー
【定期】映画『きっと、うまくいく』
こんにちは
先週の更新は完全に忘れてました
とはいっても、そんなに劇的な事件は起きてないんですけどね
この2週間あったことといえば、
- 友達とバッセンに行った
- 映画を5本くらい見た
- 友達とフリータイムでカラオケに行った
ですね。
一対一対応は2の座標までやりました。
書いてて恥ずかしくなってくるぐらいのダメっぷりですが、先に大学生になった良い高校同期のおかげで良い感じにリフレッシュして良いスタート切れそうです。
観た映画で良かったのは
『きっと、うまくいく』
です
学歴社会とか親の呪縛とかの普遍的なテーマを扱ったインド映画です
インド映画とはいえ踊りのシーンとかもしつこくなくだいぶ人におすすめできます
ぼくは2回見ました
あと『LIFE』も良かったです
好きなタイプの映画です
とにかく明日から予備校はじまるのでこの一週間は予習復習のペースを掴んで生活に慣れることを目標にします
それでは!
【定期】 full house
同級生が新歓やら履修やらを呟いて、LINEの一言がクラス名や二外とかになっているのを見るのはつらいですね。
率直に言うと、今週あまり勉強してません。
【達成項目】
ぐらいです。
水曜あたりからボーっとしてしまって勉強してないからです。
しかしその代わり、友達とバッセン行ったり、洋書を買ったりすることができたので満足です。
4月がはじまり、明日から心置きなく勉強できます。
今週予備校のクラス分けがあるのでそれに向け、
- 理科基礎
- 数学センター演習
- 古文漢文 単語・句法
を勉強して好成績を取り、良いスタートを切りたいです。
クラス分けテスト終わったらまた2週間弱空くので、一対一対応をBまで終わらせたり、『銃・病原菌・鉄』や『never let me go』を読んだりしたいですね。
それでは定期報告はこれで終わりにします。 また来週。
言い忘れてたのですが、食事の時、英語のドラマを英語字幕で流し始めました。
今流してるのは Full houseです。
1話22分と短いですし、聴き取りやすいアメリカ英語、台詞も難しい英語は使われてないのでおすすめです。
the big bang theoryも借りたのですが、結構下ネタが多めなので一人で鑑賞する分には面白いですが、お茶の間に流すのにはちょっとキツイです。
ではまた来週 !
ぼくの「浪」を語ろう② (東大不合格体験記 中高編)
「自己紹介」は残酷だ。
自己紹介とは、自分が何者であるかを他人に説明する行為だ。
自己紹介をする度に、結局、自分は何者でもない、誰かの下位互換でしかないような気がしてしまう。
君を君たらしめるものは何だろうか
ところで、厳しいことで有名な北九州予備校では、予備校に入学してすぐに「不合格体験記」なるものを生徒全員に書かせるという。
現役時の失敗を文章にすることで反省を促すというものだ。
この文章は、僕が浪人するに至った経緯を記憶が鮮明なうちに書くことで、自分の浪人の一年に役立てようというものである。
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晴れて僕は第一志望校だったZ中学に入学することができた。
部活に入り、委員会に入り、文化祭を楽しんだ。
入学と同時に塾にぶちこまれた。それが、親が猛プッシュしていたK中学ではなく、自分の第一志望校であったZ中学に入学するための親との取引条件であったからだ。
勉強していない。いや、勉強していない。
かろうじて英語だけは、今でも5文型すら知らないほど文法は勉強していなかったものの、ネイティブ的なセンスがあったためできたが、中2あたりから塾で数学はわからなくなっていった。
それもそうだ、塾で授業がはじまる前の30分以外勉強していないのだから。
わからない→やらない→わからない
のサイクルが完全していってしまった。
学校の授業は教養重視のものであったため、受験の役に立たないだろと思いあまり熱心にきかなかった。
(皮肉なことにちゃんと授業をきいてた人のほうが受験では成功している。)
学校の定期試験は中2から徹夜族になった。しかし、裏を返せば徹夜するぐらいには真面目に取り組んだということだ。
社会科は好きだったからそれなりに対策したし、化学も無機範囲の時は真面目にやった。
また、それなりに勉強しないと赤点を取ってしまいそうな科目があったという理由もある。
高校に上がるとますます勉強しなくなった。
実力試験では上位1/3〜1/2を彷徨った。
一般に、学校内の東大現役合格圏と呼ばれてるのが上位1/5である。
でも、高2高3で本気出せば行けるやろと思い、そこまで真面目に勉強しはじめることはなかった。
高1高2では文化祭や委員会、部活が生活の中心となり勉強から遠ざかっていたが、だいたい全部落ち着いてきた高2秋、テストで最下位近くを取って遅れが表面化し、他に特にやることもなくなったこともあって勉強と対峙せざるを得なくなった。
またこの頃、高2の夏に東京医科歯科大学のオープンキャンパスに行った。
当時まだ文理が定まっていなかったのもあるが、人生で最も謎な行動の一つである。
数学は青チャートの基本問題すらちゃんと解ける問題が少ないというレベルだった。
高2秋から少しずつ受験勉強というものを開始した。
数学では、青チャート〜一対一対応レベルの問題をひたすら解いてとりあえず高校数学の全範囲を終えることを目指した。
冬休みまでの間に高校数学を一周することには成功したが、国公立大の問題を解くには及ばなかった。
それどころかまだセンターレベルですらあやしいレベルだ。
年を越えた頃には、クラス全体の勉強する雰囲気もあって、学校でも昼休みでさえ勉強するといった程に勉強熱心になっていた。
一日の勉強時間が10時間に達する日がほとんどになるようになり、勉強もわりと計画的に進めた。
受験生である高3直前ということもあって春休みは一日も遊んだ日がないぐらい勉強した。
英語では、東大京大以外の国公立入試問題はだいたい解けるようになった。
しかし数学は、当時青チャートレベルだった自分の学力よりもずっと難しい「文系数学のプラチカ」に突撃していたため、力は伸びなかった。
根底には、難しい問題が解けるようにならないと高3になって置いてかれてしまうという不安があったんだと思う。
こうして数学に苦手を抱えたまま、受験生の年・高校3年生になる…
ぼくの「浪」を語ろう① (東大不合格体験記 小学生編)
日本では、大学は現役で進学するのが一般的だ。
推薦やAOで確実に決める。
もしくは、
受験では、第一志望校の他に確実に受かるだろう安全校までしっかり受けて合格しておく。
ではなぜ、人は浪人するのだろうか?
このような中で浪人などよっぽどのバカでない限りしない
そう思っていたぼくは、この春から浪人することになった。
ここで、その疑問について考えるとともに、この一年を有効活用すべく受験生活を客観視して分析するために、他人に文章を読んでもらう体で自らの受験人生を振り返っていこうと思う。
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僕は小学生だった。
小学校の教師とは対立してた記憶しかないが、公文教室に通っていたため英検2級レベルに英語ができ、算数も人並みにできた。
しかし、かなり教育レベルが高い小学校だったため、特に周りより賢かったという記憶は無い。
そして僕は受験生だった。
小4終わりから中学受験塾にぶちこまれ、受験勉強がスタートした。
最初こそ1番下のクラスだったが、徐々に成績も上がっていき、クラスも一番上から2,3番目で安定した。(結局一番上のクラスに行くことは無かった。)
完全な強制ではあったものの、勉強は社会科などそれなりに楽しんでいた記憶があるし、受験率が高い小学校であったため特に気にすることも無かった。友達もでき、地下鉄のホームを走りまわった。
小6に入ると受験競争が激化し、それなりにつらいこともあったが、なんだかんだでそれなりに楽しんでいたし、下校途中の寄り道や行事などそれなりに充実していた。
秋ぐらいに第一志望校Z卒の東大生という人物D氏が現れ、時々個別指導的なことをしてもらえることになった。
大学生というのは、小学生からしたらかなりの大人である。ましてやZ卒の東大生ときた。中高生ならば無知の知的なものはあるだろうが、小学生の自分には思いも寄らないことをたくさん知っている。僕はD氏のもとで勉強することになった。
成績は伸びた。
結局第一志望校である御三家のひとつであるZ中学の合格率が50%を超えることは無かったまま受験シーズンを迎えた。しかし1月中にトップレベル校Kの合格を取ったので、2月1日にZに突撃した。合格した。
合格発表は学校の掲示板まで見に行ったが、よくテレビで見る泣いてる受験生とかがいる激しい現場はそこになく、普通に小学校に行っていったん家に帰ってから見に行ったのでカップラーメンを持ってた在校生の他に誰もおらず、
「番号があるなあ」
という感想しかなかった。
その夜はZとKのどちらに行くか悩んだ。(自分的にはZ一択だったが親がKを猛プッシュしていた。)
晴れてZに進学することが決定し、春休みを謳歌した。モンハンをひたすらやってた記憶しかない。ジエンモーラン的なやつを狩ってた。
中学高校編へと続く